題名に「陸前高田の歴史」を銘打ちながら、福島県のお話。
いや、後に高田の道路史にもふれたいと考えているので、その導入として。
興味深いサイトを見つけましたので、ここに。
http://www.t-aterui.jp/fukushima/f-ryujinkyou.htm
《別名この道を御斎所街道と云う。坂上田村麻呂が戦勝祝に紀州の熊野権現を分詞した地が御斎所山(斎とは祝うという意味だ)である(大澤石材店社長談)。そこの峠が難所御斎所峠である。
そこに熊野権現の遥拝所の鳥居がある。今トンネルが出来この歴史ある難所も記憶の外に忘れられようとしている。
そこのドライブインの女将さんの話では「明治以降これで4回道が変わった。その度に客は少なくなった」 と不満げである。
今は殆ど寄る人はいない様子です(現在は東日本大震災の山崩れの為通行禁止)》「御斎所街道(福島県道14号いわき石川線)」と、御斎所峠の位置
https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E9%81%A0%E9%87%8E%E7%94%BA%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E7%BE%8E%E5%8F%A4/@37.0060307,140.6960329,17z/data=!4m2!3m1!1s0x602107e2e4d8bf99:0x654ae6a9c4241cf4旧来から浜通り(小名浜など)と中通り(白河・棚倉城下)を結ぶ主要街道ですが、御斎所峠付近は川沿いで狭い道の続く難所でした。
1995年に御斉所トンネルが開通してから旧道の交通量は激減しました(前記のドライブインがあるため、震災前は通行できた)

写真1:御斉所トンネルと旧道、分岐点

写真2:御斎所峠
しかし、トンネルが開通したことにより、その地に留まる通行人も少なくなり、
(旧来であれば、休憩所としてドライブインが利用されていたが、トンネルで短時間で通り過ぎることが出来るようになったため)
数軒の民家のみが残るだけになっていた。(2008年11月当時)

写真3:御斎所峠の神社
人がまだいた時分には、この神社も付近住民によって祭礼が行なわれ、住民総出でお神輿が出されていたに違いないのだが、6年前に訪れた時にこれを見て、愕然とした記憶が。
外部の人間にとって交通の利便がよくなることと、元々住んでいた住民の生活環境とは、やはり同一では無いのかも知れないな、と思わされた光景でした。