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高田活版

 

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澤さんがつづる「陸前高田の歴史」


2014/11/01

気仙地区の防潮堤(その2)

Tweet ThisSend to Facebook | by 澤正宗
高田活版さんHPのトップページのヘッダー。
高田松原の写真、これを見て防潮堤がどこにあるか気付くでしょうか?
「え? ないんじゃないの」と思う人が多いのではないでしょうか。

実は、松原と砂浜の間に第一線堤(これは砂の流出を防ぐ高さ約2mのもの)、松林の後方に高さ約5.5mの第二線堤があります。
他地域の防潮堤と違って、高田松原は「国指定名勝」としての観光地であるため、「いかにして観光資産である高田松原と砂浜の光景を妨げないように作るか」という試行錯誤で作成されました。
(観光と災害対策と、この二つをいかに融合させるかという試みは、チリ地震津波復興の高田地区が先駆なんだそうですよ)

さて、防潮堤の高さ(5.5m)はいかにして決められたのでしょうか。

実は、高田松原に来襲した津波の(当時の)最高波高から計算しているんですね。
「三陸には20~30mの津波が来たと聞く。それでは低いのではないか!」と思われることでしょう。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E9%99%B8%E5%89%8D%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B8%82/@39.0025857,141.7113253,12z/data=!4m2!3m1!1s0x5f88a352186830cb:0xef1fa715f74f0885
明治/昭和三陸大津波の際、綾里湾(大船渡市)のように外海に向かって”V字”型に開いている湾は、奥に行くに従って(漏斗のように)威力が一点に集まってしまい、結果として20~30mの津波となってしまいました。
また、広田崎のような外海に直接に外海に面している地域も、震源から妨げるものがないために、まともに津波を受けてしまいました(高さ約15~20m)

それに対して、広田湾(高田松原)や大船渡湾の内部は「”広田半島/尾崎岬”といった部分が自然の防波堤の役割を果たした」また「湾が”U字”型で奥が広く、威力が拡散した」ということもあり、5.5mを超える高さにならなかったわけですね(明治津波・昭和津波ともに5m以下)

ところが、チリ地震津波などの遠地型津波では”波と波の間隔が長くなる(それぞれの波の高さはさほど高くない)”という特徴があり、明治/昭和津波のような近海型(震源からの距離が近い分、一個一個の波の高さは大きい)で被害を出したV字湾も、それぞれの波が低いためにチリ津波の際は被害が少なかったものの、U字湾では逆に懐が大きい分、一回目の波が抜ける前に次の波が来て、湾の内部に溜まっていた海水を押し上げられる、ということが起きてしまったわけですね(これで高田松原付近は海面が5.5mまでせり上がった)。

この為、「今まで来た津波はチリ地震津波(1960年)が一番高かった」「これを基にして計画を立てよう」と、高田松原防潮堤や陸前高田市の防災計画を練ったわけです。
18:30